日々是好日

ASD主婦のヨガや精神保健福祉士の勉強、子育てのことなど。

共同性についてのメモ

シンポジウム・シリーズ:現代都市ドキュメント
第1回[世界化する都市と建築]

[プログラムB]世界化する都市の存在論

人間がもちうる共同性とは
なにを意味するのか

見田宗介

より抜粋
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…恐らく八〇年代的な思考にとって否定されつくした共同性と、すでに共同性という言葉の内容が変わっていると思うのですね。
 それではどういうふうに変わっているのか、その変わり具合をどう捉えるのかということですが、結論的なところにはしょって行ってしまうと、人間というのは重層構造を持っている。
 一番下の第一水準が動物、植物を含めた生命体一般です。その上の第二水準が原始人も含めたホモサピエンスとしての人間存在一般。第三水準が、いわば文明人としての、文明的な存在としての人間。第四水準が近代社会という層にいる人間。一番上の第五水準が、この現代を生きている現代人です。これは時代であるのでなくて、現代人の中にもこういった重層的な層―表層から深層までいろいろな層を、いわば現在性として、私たち現代人は、こういう五つの……別に五つに分けなくてもいいのですけれども、こういった層を持ってるわけですね。それは垂直的に現代人の中に、いわば情報化、消費化社会としての現代的な表層、それから近代市民社会、近代人一般としての層、それから文明人一般としての層、それから人間一般としての、言語を使うホモサピエンスとしての層、それから動物を含めた生命体としての層が、私たち自身の存在の中に同時的にある。
 それで早足に今日のテーマだけに絞っていくと、以前に問題にされた、いわば八〇年代的な解体の以前に問題にされていた共同性、共同体というものは、基本的に言うと、第三水準の層に根拠を置いたものであると。つまり、この文明社会というものは、ベースは農耕社会です。だいたい世界の文明社会というのは、農耕段階に入って初めて起こってくるわけですね。近代以前までの社会経済は、農耕共同体というものがベースであった。
 これは、例えば共同体というふうに八〇年代以前的な問題意識でいうと、まず日本人が思い浮かべるのは「村」のイメージですね。村という感じ……。それは国際的にいっても、ゲマインシャフトという言葉にあるゲマインデというような、ドイツの農耕共同体みたいなものが元になっているわけです。ですから、この第三水準のだいたい農耕共同体というものが、共同体のイメージのモデルみたいなものであった。それがだいたい六〇年代、七〇年代、八〇年代を通して解体しつくした。そうすると、現在、共同性が問題になるとすれば、細かいことは後で討論の時に補足することにして、乱暴に自身の立場だけを出しておくと、さらに根源的なものに根拠を置くようになってくるだろうと。
 それは、いわば人間存在一般の層とか、あるいは生命体一般の層に根拠を置いたような共同性だけが洗い残されてくる。洗い残されるというイメージがいちばんいいと思うのですが、第三の水準に根拠を置いたこれまでの共同体というものが解体しつくした後で、なお残ってくるのはもっとベーシックな源的なものだろう。それはですから、一つは人間存在一般としての言語存在あるいはホモサピエンスとしての人間という存在。それからもう一つはさらに動物・植物を含めた生命体としての人間というものに根拠を置くような共同性だけが洗い残されていくだろう。共同性ということのイメージとして、現代以後に洗い残されてくるのは、ちょうど範囲としてはいわば極小のものと極大なものだけだろう。
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抜粋終了

メモ
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人間は重層構造
・第一水準 : 動物、植物も含めた生命体一般
・第二水準 : 原始人も含めたホモサピエンスとしての人間存在一般
・第三水準 : 文明人としての、文明的な存在としての人間
・第四水準 : 近代社会という層にいる人間
・第五水準 : この現代を生きている現代人

時間経過ともに、洗い残される共同性は数字の小さい水準のもの
第一水準や第二水準が今後の共同性

「現代以後に洗い残されてくるのは、ちょうど範囲としてはいわば極小のものと極大なものだけだろう。」

第五水準もか。
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メモ終了